Tuesday, October 23, 2012

facebook 日本語ページ

Dejavatoファンのfacebook日本語ページを作りました。
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Monday, August 14, 2006

デジャバト・ケア5

医者のIwan氏が、Taji村に住むおばあさんを診察。健康相談も行った - デジャバト・インドネシア
2006年8月12日、デジャバトは被災地に医療救援チームを送り込みました。医者のIwan氏とボランティア3人(Ketutさん、Astriさん、Ririnさん)です。今回私たちは、2006年5月27日の大地震で激しく傷ついた2つの村、Taji村とBugisan村を訪れ、住民のために診察を行いました。

デジャバトはスマラン州立大学(UNNES)のパブリック・ヘルス学部と心理学部と協力し、学生約76人を被災地に送りました。学生たちは12人ずつ6つの村に分かれ、2006年8月8日から45日間滞在します。Maryati氏(大学のSenior講師の1人)の監督の下で、学生たちは治療と復興の課題を課せられました。デジャバトは薬で医療チームをサポートしました。

最初の医療サービスはTaji村で行われました。患者数は78人で、ほとんどがお年寄り、残りは子供と赤ん坊でした。診察は午前10:00から午後12:30まで行われました。

Public Health学部の学生が、患者の血圧を測定 - デジャバト・インドネシアしばらく休憩してから、私たちは有名なPrambananから車で30分のところにあるBugisan村に移動しました。Bugisan村での医療サービスは午後1:30から午後4:30まで行われました。この村では様々な年齢の85人の患者を診察しました。しかしやはり、ほとんどがお年寄りでした。インドネシアはもう夏だったので、多くの患者がのどを痛めてせきをしたり、のどや目の炎症、肺、皮膚病、けが、胃などを患っていました。

彼らの両親を待っている間、デジャバトのチームは子供たちのためにゲームを開催しました。8月17日のインドネシア独立記念日も祝いながら、テントの中の子供たちのためにけん玉やおはしの使い方、日本の浴衣やはっぴの着方を競うゲームを行いました。日本のゲームをすることは、子供たちに異文化を紹介する方法でもあり、うまく行けばよりたくさんの知識をつけることができます。勝者にはプレゼントも贈りました。ようやく、村は笑いと幸せな笑顔で満たされました。

日本の着物を着た子供たち - デジャバト・インドネシアTaji村とBugisan村の住民に代わって、デジャバトはお礼を言います。皆様からの寄付、本当にありがとうございました。デジャバトでは引き続き、皆様からの寄付を歓迎します。
大きい魚を捕まえた - デジャバト・インドネシア











フォトギャラリー
パブリック・ヘルス学部の学生のスピーチ - デジャバト・インドネシア診察サービスに登録 - デジャバト・インドネシア









薬のカウンター - デジャバト・インドネシア 順番を待つ患者 - デジャバト・インドネシア









けん玉大会 - デジャバト・インドネシア お箸を使うゲーム - デジャバト・インドネシア












テントの中で遊ぶ - デジャバト・インドネシア 優勝者たち - デジャバト・インドネシア









デジャバトチームとUNNESの学生ボランティア - デジャバト・インドネシアデジャバトチームとBugisan村の学生ボランティア - デジャバト・インドネシア









浴衣を着るのは簡単? - デジャバト・インドネシア笑って… - デジャバト・インドネシア

Monday, June 5, 2006

デジャバト・ケア2

デジャバト・インドネシア 2006年6月3日土曜日、デジャバト・インドネシアのボランティアは再び、ジョグジャカルタとKlaten地区の被災地を訪れました。

約10人のボランティアが、スマランのデジャバト事務所から2(3)台の車で救援物資を運び、配布しました。私たちはこれまでに即席めん・植物油・ビスケット・米・赤ちゃん用の食べ物・牛乳・服・砂糖・紅茶・薬などを寄付していただきました。現金での寄付もいただき、これは追加で物資を買うのに割り当てました。ジョグジャカルタのボランティア達からも援助物資をいただきました。

5月30日、私たちの最初の救援物資が、90%近くの家が倒壊し残りもひどく傷ついたKlaten地方Kemudo村に送られました。しっかりした避難所が無いため、ほとんど全ての住人が昼も夜も外で生活しています。

デジャバト・インドネシア私達はこの2回目の救援物資を2つのエリアに分けて送りました。一つは震源地から最も近い、ジョグジャカルタ、Bantul地区、BambanglipuroのGedogan Sumbermulyo村です。この村では98%近くの家が倒壊し、残りも悪い状態で危険です。

デジャバト・インドネシア他の救援物資は、再び中央ジャワ・Klaten地区のKemudo村に送られました。ここでは7人が亡くなり、数百人が負傷し、85%近くの家が倒壊し、残りも激しく傷つきました。また19の学校の建物が倒壊しました。

デジャバトではいかなる企業・組織・個人からの寄付も大歓迎です。ボランティア活動・被災地での復興作業に参加して下さる海外からのボランティアも募集しています。デジャバト・インドネシア

Wednesday, May 31, 2006

デジャバト・ケア

デジャバト・インドネシア 土曜日、ジョグジャカルタ・中央ジャワ地方南部でマグニチュード6.3、リヒタースケール5.9の大規模な地震が発生しました。

発生時刻は5月27日土曜日の午前5:53、ちょうど夜明け前、場所はジョグジャカルタから南南西に約15マイル(約25km)、ムラピ火山の近くでした。この時多くの人はまだ眠っていました。この地震により、公式の数字よりもはるかに多い60万人近くの人が家を失い、多くが仮設テントに避難しました。病院はあふれかえり、野外病院が用意され、患者は路上で手当てを受けています。同時に、多くの人は余震による被害を恐れて病院に入るのを嫌がりました。

月曜日(5月29日)ジョグジャカルタ・中央ジャワの地震による死者は5130人を超え、救助隊は必死に瓦礫の上での捜索活動を続けました。

最も死者が多かったのは、観光地として知られるジョグジャカルタから南のジャワ海岸近く、首都ジャカルタから南東に250マイル(400km)のBantul地区でした。スマランから約80kmのKlaten地区でも、多数の死者が出ました。

地震の被害者・生存者への貢献活動として、デジャバト・インドネシアの代表Ketut Purwantoro氏はデジャバト・ケアを主催し、ビニールテント5つ、ロープ3kg、即席めん20パック、植物油48リットルを寄贈しました。この最初の寄贈では、個人の方からも救援物資の提供がありました。

デジャバト・インドネシアこの救援物資は、火曜(5月30日)の夜にKetut Purwantoro氏から中央ジャワのKlaten地区Kemudo村へ送られました。Kemudo村では7人が亡くなり、数百人が負傷し、85%近くの家が倒壊、残りも激しく傷つき、19の学校が倒壊しました。

デジャバトでは、いかなる企業・組織・個人からの寄付も大歓迎です。ボランティア活動・Kemudo村での復興作業に参加して下さる海外からのボランティアも募集しています。